Trinaka エトナ · シチリア

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Gorgia (ゴルギアス)

ゆかりの人物

どんな人物か
483 a.C.–375 a.C. · filosofo greco antico · Lentini

Gorgia (ゴルギアス)
写真:ウィキメディア・コモンズ · CC BY-SA

ゴルギアス は古代ギリシアの哲学者(ソフィスト、ソクラテス以前の哲学者)、修辞学者。シチリアのレオンティノイの生まれ。プロタゴラスとともにソフィストの第一世代にあたる。古代のドクソグラファーの何人かは、ゴルギアスはエンペドクレスの弟子だったと伝えているが、これはいささか疑わしい。なぜなら、確かにゴルギアスはエンペドクレスより年下だが、たった2、3歳しか違わないからである。「他のソフィストたち同様、彼はあちこちの都市を巡業して回り、全ギリシアの中心であるオリンピアやデルポイでは大衆の前でその技術を披露し、金を取って授業や公演を行った。ゴルギアスのパフォーマンスで特に売り物だったのは、観衆から種々雑多な質問を受け付け、即興でそれに答えることだった」。

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生涯

ゴルギアスは、シチリアのギリシア人植民地レオンティノイで生まれた。そこはギリシアのレトリックの故郷だと言われることがよくある。ゴルギアスには、カルマンティデスという名の父親と、ヘロディコスという名の医師の兄弟、さらにその孫がデルポイにゴルギアスの彫像を奉納した妹がいたことがわかっている。
紀元前427年、敵対するシュラクサイの脅威に対抗するため、レオンティノイは救援を求める使節をアテナイに派遣したが、その代表となったゴルギアスはその時既に60歳だった。その後、ゴルギアスはギリシア本土に住み着くことになったが、おそらく、その演説のスタイルが人気となり、また、そのパフォーマンスとレトリックの授業が金になったからだろう。アリストテレスによれば、ゴルギアスの生徒の中にはイソクラテスがいたという。
また後世の言い伝えによると、たとえば『スーダ辞典』では、ペリクレスがゴルギアスの生徒とされている。ピロストラトスは『ソフィスト列伝』でこう言っている。「彼は立派な人たちの注目を浴びていた。若者では、クリティアスにアルキビアデス、年輩者ではトゥキディデスにペリクレス。悲劇作家アガトンもそうで、彼は「喜劇」が賢く流暢だと見なした人物だが、しばしばその短長格の詩の中でゴルギアス化した」。
ゴルギアスは100歳以上まで生きたと考えられている。その間に、神殿に奉納するために、自分の黄金像を作ることができるほどの相当な蓄えをした。ゴルギアスは紀元前376年、テッサリアのラリサで亡くなった。

レトリックの革新

ゴルギアスは、「構造」「装飾」「パラドクソロギアの導入」に関するレトリックの革新において、その先導役を務めた。パラドクソロギア(paradoxologia)とは逆説的思考と逆説的表現の概念のことである。これらの進歩によってゴルギアスは「詭弁の父」というレッテルを貼られてしまった。一方でゴルギアスは、文学的散文の言葉としてアッティカ方言を普及させることに貢献したことでも知られている。
ゴルギアスのレトリックに関する著作(『ヘレネ頌』、『パラメデスの弁明』、『非存在について』、『エピタフィオス』)は、『テクナイ(Technai)』と題されたレトリック教育の入門書を通じて今に伝わっている。『テクナイ』は、もしかすると記憶された手本から作られたのかも知れないが、さまざまなレトリックの実践理論を説明した本である。
一部の学者はそれぞれの作品の言説は対立していると言っているが、意欲に満ちた理論とレトリックのテクネー(技術)の相互に関係する著作として読むことができる。
それらのうち、完全な形で残っていると思われるのは『ヘレネ頌』と『パラメデスの弁明』で、 …

非存在について

ゴルギアスの『非存在について』は失われた著作である。レトリックの著作というよりも、同時代のエレア派の命題を反駁し、パロディにした理論が述べられている。原文は失われていて、現在残っているのはパラフレーズがたった2つだけである。1つは哲学者セクストス・エンペイリコスの『数学者に対して』の中に、もう1つは作者不詳の『De Melissus, Xenophane, Gorgia』の中に出てくる。どちらも相手との会話部分が除外されていて、それはどちらも同じ文献を元にした可能性があることを示唆している。
しかし、それが懐疑的な論法を発展させたことは明らかである。その内容はざっと以下の通りである。

何も存在しない。
たとえ何か存在するにしても、それについて知りうることは何もない。さらに、
たとえ何かそれについて知りうることがあるにしても、それについての知識を他人と理解し合うことはできない。
この議論は広く、パルメニデスの存在に関する命題の皮肉な反論として理解されていた。ゴルギアスは、存在は1つで・不変で・永遠のものだということを示すことがたやすいように、結局何も存在しないということを証明するのも簡単だということを証明するためにこれを書いた。

レトリック作品

ヘレネ頌

ゴルギアスや他のソフィストたちは、その著作の中で、行動の結果を表現するための枠組み、ならびにそのような行動の解決を生み出す方法としての「言語の構造と機能について」思索した。
そして、それこそがゴルギアスの『ヘレネ頌』の目的である。アリストテレスはその著書『弁論術』の中で論じた修辞学の3つの区分、すなわち法廷弁論・議会弁論・演示弁論のうち、『ヘレネ頌』は演示弁論に分類されうるもので、トロイのヘレネへの讃美を表し、ヘレネがパリスとスパルタから去ったことへの非難からヘレネを無罪放免にしている、と述べている。
ヘレネはギリシア人たちにとって性的な情熱と類い希なる美しさの両方の象徴であった。ヘレネはゼウスとレーダーの娘にしてスパルタ王妃で、その美しさはギリシアとトロイアとの10年に及ぶトロイア戦争の直接の原因となった。戦争の発端は、ヘーラー、アテーナー、アプロディーテーという女神たちが自分たちのうちで誰が一番美しいかをトロイアの王子パリスに尋ねたことだった。女神たちはパリスの決定に影響を与えようと試みたが、結局パリスが選んだのはアプロディーテーで、アプロディーテーはパリスに最も美しい人間の女性を約束した。それからパリスはギリシアに旅し、そこでヘレネとその夫メネラオスの歓迎を受ける。アプロディーテーの働きかけで、ヘレネはパリスからの駆け落ちの説得を受けてしまう。二人は一緒にトロイに行く。しかし『ヘレネ頌』の中では、戦争についても、ヘレネの不実を非難する一般受けの良い文学的な話も語られない。ゴルギアスが『ヘレネ頌』の中で突き止めたかったのは、ヘレネがどうしてパリスと駆け落ちしたかの一点だった。
『ヘレネ頌』の冒頭すぐのところで、ゴルギアスはこう述べている。「賞賛に値する男女、話、仕事、都市国家、行いには、人は讃美とともに光栄を与えねばならない。一方で値しないものには、人は非難を与えなければならない」
ゴルギアスは、ヘレネがトロイアに旅立った理由は何だったかを論じる。ヘレネをそうさせたものは次の4つのうちのどれかである。すなわち、神によってか、物理的な力によってか、愛によってか、もしくはロゴス(言葉、論理)によってか。もしヘレネをトロイアに向かわせたのが、神の企みだったとしたら、ヘレネを責める者は自分自身を責めねばならないと、ゴルギアスは主張する。「神の意志は人間の予想によって防ぐことは不可能なのだから」。
生まれつき弱者は力に支配され、神々はあらゆる点で人間より強いのだから、ヘレネはそれまでの望ましくない評価から解放されなければならない。一方、もしヘレネが力づくで誘拐されたのなら、罪を冒したのは侵略者(パリス)であることは明らかである。したがって、非難されるのは、ヘレネではなく、彼でなければならない。次に、もしヘレネが愛によって説得されたのだとしたら、ヘレネはなおさらその汚名を免れなければならない。なぜなら、「もし愛・神・神々の愛の力なら、それより力の弱い者はそれを拒み、避けることができようか? しかし、もしそれが人間の病で魂の過失だとしても、罪として責めるべきでなく、むしろ不運と考えねばならない」。最後に、もし言葉がヘレネを説得したのだとしても、ゴルギアスはヘレネの非難を取り除くことは容易にできると言って、こう説明した。「言葉は偉大な支配者で、それは最も小さく・最も謎の多い肉体によって、最も神のごとき仕事を遂行する。なぜならそれは恐怖を止め、痛みをやわらげ、喜びを生み、慈悲を回りに作ることができるからである」。
『ヘレネ頌』はゴルギアスのパラドクソロギアの愛を明示する。『ヘレネ頌』の遂行的な性質は、話し手と聞き手、それに人を騙す話し手と聞き手の協力を当てにする人との相互関係を必要とする。
ゴルギアスは『ヘレネ頌』の最終章でこのパラドクス(逆説)を明らかにする。「私はこの話を、ヘレネ賛辞と私の気晴らしのために書きたかったのだ」。
付け加えると、もしゴルギアスのヘレネの汚名をすすぐ主張を受け入れる者がいるならば、それはヘレネに非難を向けたすべての文学的伝統にそっぽを向くことになる。これもまた逆説的である。

パラメデスの弁明
『パラメデスの弁明』の中で、ゴルギアスはロゴスを倫理的な議論を作るための実際的な道具だと述べている。
道徳ならびに…

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