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Ettore Majorana (エットーレ・マヨラナ)

ゆかりの人物

どんな人物か
1906–1938 · fisico italiano · Catania

Ettore Majorana (エットーレ・マヨラナ)
写真:ウィキメディア・コモンズ · CC BY-SA

エットーレ・マヨラナ はイタリアの理論物理学者。ニュートリノ質量の研究を行った。1938年3月25日、パレルモからナポリへ船で行く間に不可思議な状況下で失踪した。マヨラナ方程式とマヨラナフェルミオンの名前はこの人物にちなむ。2006年にはマヨラナ賞が設立された。

もっと詳しく
生涯

天賦の数学的才能
シチリア島のカターニア生まれ。数学の才能に恵まれ、非常に若くしてローマのエンリコ・フェルミのチームに「ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ」(その名は研究室のある通りの住所に由来)の1人として参加した。
おじのクイリーノ・マヨラナも物理学者であった。
1923年、大学で工学の勉強を始めるが、1928年エミリオ・セグレの働きにより物理学に変更した。最初の論文は原子分光学における問題を扱った。

最初に発表された学術論文

1928年に発表された最初の論文は、ローマの物理学研究所の若手教授ジョヴァンニ・ジェンティーレ (物理学者)の学部生のときに教授との共著で書いたものである。この研究は原子構造のフェルミの統計モデルの原子分光法に対する初期の定量的適用であった(ルウェリン・トーマスにより同時期に記述されたため、現在はトーマス=フェルミ模型として知られている)。
この論文において、マヨラナとジェンティーレはガドリニウムとウランの実験的に観測されたコア電子エネルギー、および光学スペクトルで観測されたセシウム線の微細構造分裂について十分な説明を与えるこのモデルの状況内で第一原理計算を行った。1931年、マヨラナは原子スペクトルにおける自動イオン化現象(autoionization)に関する最初の論文を発表し、これを"spontaneous ionization"と呼んだ。同年、プリンストン大学のAllen Shenstoneにより独立に発表された論文においてはこの現象を"auto-ionization"(最初はピエール・オージェにより使われた名称)と呼んだ。この名前はそれ以降慣習的なものになり、ハイフンは付けなくなった。
1929年、ローマ・ラ・サピエンツァ大学で物理学の学士号を取得した。
1932年、時間により変化する磁場中で整列する原子の挙動に関する原子分光法の分野における論文を発表した。I・I・ラービらによっても研究されていたこの問題は重要な原子物理学のサブブランチ、無線周波数分光法のサブブランチにつながった。同年、任意の固有運動量を持つ粒子の相対論的理論に関する論文を発表した。この中でローレンツ群の無限次元表現を開発・適用し、素粒子の質量スペクトルの理論的基礎を与えた。イタリア語で書かれたマヨラナの論文の大部分と同じように、この論文は数十年にわたり相対的な難解さにより人々を苦しめた。
1932年にイレーヌ・ジョリオ=キュリーとフレデリック・ジョリオにより行われた実験により、彼らが示唆した未知の粒子の存在がガンマ線であることが示された。マヨラナは中性電荷を持ち陽子とほぼ同じ質量を持つ新たな粒子(中性子)が必要であるとこの実験を正しく解釈した最初の人物である。フェルミはマヨラナに論文を書くよう勧めたが、マヨラナは気に留めなかった。そののち同じ年にジェームズ・チャドウィックが実験により中性子の存在を証明し、これによりノーベル賞を受賞した。
マヨラナは自身の発見に対する名声を求めないことで知られており、自身の研究を凡庸なものと考えていた。生涯に著した論文は9本のみである。

ハイゼンベルクとの研究、病、孤独
「フェルミの働きによりマヨラナは1933年初めにNational Research…

失踪

1938年3月25日、パレルモからナポリへの船旅の間に未知の環境で姿を消した。いくらか調査が行われたが、遺体は見つからず、その後は未だ不明である。パレルモへの旅行の前に銀行口座から全てのお金を引き出していた。パレルモの大学で教授をしていたエミリオ・セグレを訪ねることを望んでパレルモに行ったのかもしれないが、セグレはその時カリフォルニアにいた。失踪した日にマヨラナは以下のメモをナポリ物理学研究所所長のAntonio Carrelliへ送った。親愛なるCarrelliへやむを得ない決断をしました。少しわがままではありますが、私の突然の失踪があなたや学生にどんな問題を起こすのか理解しています。だからこそ、特にあなたがここ数か月間私にくれた自信、誠実な友情、同情を裏切ったことをお許しください。あなたの研究所で私が知り合った全ての人特にSciutiに私のことを思い出させてください。私は少なくとも今夜11時まで、おそらくはそれ以降もそれら全ての思い出を大切にしていきます。E・マヨラナ
この直後にそれより前の計画をキャンセルする電信を送っている。パレルモからナポリへの切符を買っていたが、2度と現れることはなかった。
この失踪について考えられるいくつかの説明が提案されてきた。

自殺
エドアルド・アマルディ、エミリオ・セグレらによる説
アルゼンチンへの逃亡
Erasmo RecamiとCarlo Artemiによる説(マヨラナがアルゼンチンへの逃亡とそこでの生活が可能であることの仮説的再構成を作り上げた)
ベネズエラへの逃亡
Rai 3のトークショー"Chi l'ha Visto?"においてマヨラナが1955年から1959年までベネズエラのバレンシアに住んでいたという陳述が発表された
僧院への逃亡
シャーシャによる説 (推定としてはセッラ・サン・ブルーノのCharterhouse)
誘拐もしくは殺害
Bella, Bartocciらによる説。核兵器製造に参加するのを避けるため
逃亡し乞食となった
BasconeとVenturiniによる説("omu cani"や"dog man"仮説とも)

長きにわたる概説と研究
イタリアの作家レオナルド・シャーシャはこれらの調査と仮説の結果をいくらかまとめているが、その結論のいくつかはマヨラナの元同僚であるエドアルド・アマルディやセグレらにより反論された。
Recamiはマヨラナの失踪に関する様々な仮説を批判的に検討し、マヨラナの失踪に関する様々な説明(シャーシャにより進められたものも含む)を検討し、マヨラナがアルゼンチンへ行ったという説の示唆的証拠を示した。
イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは最近になって再びマヨラナの失踪事件を調査する本を出版した。

Rome Attorney's Officeにより再開されベネズエラへ移住したという推定で終幕
2011年3月、Rome Attorney's Officeが第二次世界大戦後の数年間にブエノスアイレスで会ったことについて証人が行った供述の調査を発表したとイタリアのメディアが報じた。2011年6月7日にはカラビニエリのRISが1955年にアルゼンチンで撮影された男性の写真を分析し、マヨラナの顔と10の類似点を見つけたとイタリアのメディアは報じている。
2015年2月4日、Rome Attorney's Officeはマヨラナが1955年から1959年の間にベネズエラのバレンシアで生活していたという声明を発表した。新たな証拠に基づくこれらの最後の調査結果により事件の終結が宣言され、個人的選択と思われる失踪に関する刑事的証拠は発見されなかった。

100周年記念

2006年は生誕100周年であった。
マヨラナの生誕100周年を記念して、2006年10月5日から6日にかけてカターニアで「エットーレ・マヨラナの遺産と21世紀の物理学」と題した国際会議が開かれた。トップレベルの国際的な科学者A. Bianconi, D. Brink, N. Cabibbo, R. Casalbuoni, G. Dragoni, S. Esposito, E. Fiorini, M. Inguscio, R. W. Jackiw, L. Maiani, R. Mantegna, E. Migneco, R. Petronzio, B. Preziosi, R. Pucci, E. Recami, Antonino Zichichiによる記事が入った議事録がPOS Proceedings of Science of SISSAにより出版された。編集はAndrea Rapisarda (chairman), Paolo Castorina, Francesco Catara, Salvatore Lo Nigro, Emilio Migneco, Francesco Porto, Emanuele Riminiにより行われた。
マヨラナの9つの論文を集め、解説と英語翻訳を付けた本が2006年にイタリア物理学会により出版された。
また、100周年を記念してジャーナルElectronic Journal of Theoretical Physics (EJTP) はマヨラナの遺産の現代的発展に向けた20の記事を掲載した特別号を発行した。Electronic Journal of Theoretical Physicsは賞も制定した。マヨラナメダルもしくはマヨラナ賞は最も広い意味で理論物理学において独自の創造性、批判的な考え、数学的な厳密さを示した研究者に毎年贈られる賞である。2006年の受賞者はErasmo Recami(ベルガモ大学とINFN)とジョージ・スダルシャン(テキサス大学)であった。2007年の受賞者はリー・スモーリン(カナダのPerimeter Institute for Theoretical Physics)、Eliano Pessa(Centro Interdipartimentale di Scienze Cognitive, Università di Pavia and Dipartimento di Psicologia, Università di Pavia Piazza Botta, Italy)、Marcello Cini(Dipartimento di Fisica, Università La Sapienza, Roma, Italy)である。

関連書籍

『マヨラナ―消えた天才物理学者を追う』(ジョアオ・マゲイジョ 著、 塩原通緒 訳、NHK出版、2013年)ISBN 978-4140816059
For a summary of Majorana's scientific output, see the following article (in Italian): E. Amaldi, "L'opera scientifica di Ettore Majorana", Physis, vol. X, pp. 173–187 (1968).
Majorana's collected papers, accompanied by English translations and commentaries, were published in Ettore Majorana Scientific Papers on the occasion of the centenary of the birth.
Appunti inediti di Fisica teorica, Zanichelli, 2006. (Edited by E. Recami and S. Esposito)
Carlo Artemi, Il plano Majorana: una fuga perfetta ( The Majorana plan: a perfect escape), De Rocco press, Rome, 2007.
E. Amaldi, Ricordo di Ettore Majorana, Giornale di fisica, 9, 1968.
E. Recami, Il caso Majorana, Di Renzo Editore, Roma, 2001.
I. Bascone, Tommaso l'omu cani amara e miserabile ipotesi sulla scomparsa di Ettore Majorana fisico siciliano al tempo del fascismo, ed. Ananke, 1999.
I. Licata (ed), Majorana Legacy in Contemporary Physics, Di Renzo Editore, Roma, (2006).
L. Castellani, Dossier Majorana, Fratelli Fabbri, 1974 (edited again in 2006).
L. Sciascia, La scomparsa di Majorana, Adelphi ed., 1975.
S. Bella, Rivelazioni sulla scomparsa di uno scienziato : Ettore Majorana, Italia letteraria, 1975.
Esposito, S. (2008). “Ettore Majorana and his heritage seventy years later”. Annalen der Physik 17 (5): 302–18. arXiv:0803.3602. Bibcode:2008AnP...520..302E. doi:10.1002/andp.200810296.
S. Esposito, E. Recami, A. Van der Merwe: Ettore Majorana: Unpublished research notes on theoretical physics, Fundamental Theories of Physics 159, Springer, 2009, 978-1-4020-9113-1, e-ISBN 978-1-4020-9114-8
Reader's Digest Association, Great Mysteries of the Past, Pleasantville, New York, 1991, ISBN 0-89577-377-5, pp. 69–72.
U. Bartocci, La scomparsa di Majorana:…

ウィキペディアより、CC BY-SA 4.0 · 記事全文を読む

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