Trinaka エトナ · シチリア

地図城と遺跡

Lockheed F-104 Starfighter (F-104)

城と遺跡
Lockheed F-104 Starfighter (F-104)
写真:ウィキメディア・コモンズ · CC BY-SA

F-104 は、ロッキードが開発した超音速ジェット戦闘機。愛称はスターファイター (Starfighter)。

もっと詳しく
概要

F-100 スーパーセイバーに始まるセンチュリーシリーズの一員とされ、また、第2世代ジェット戦闘機に分類される、アメリカ合衆国初のマッハ2級のジェット戦闘機。初飛行は1954年2月。
細い胴体に短い矩形の主翼を持つ小型軽量の機体にゼネラル・エレクトリック社の強力なJ79型エンジンを一基搭載している。その卓越した高速性と形態はミサイル(当然無人である)を彷彿させ、日本においては「最後の有人戦闘機」とも称された。
アメリカ空軍では短い期間の運用に終わったが、冷戦下において日本やイタリア、中華民国(台湾)や西ドイツなどアメリカの同盟国や友好国を中心に、世界15ヵ国で供与・運用された。1960年代に勃発したベトナム戦争のほか、第二、第三次印パ戦争等の実戦に投入された。
高度な操縦・整備技術を要し、高価であった事もあり、南ベトナムや韓国、フィリピン、南アメリカ諸国をはじめとする発展途上国への供与はF-5A/Bへ譲られたが、ライセンス生産を含め2,578機が生産された。初飛行後から半世紀を経た2004年、イタリア空軍に所属したF-104S退役を最後に全機退役となった。

開発の経緯

ロッキードの設計者であったクラレンス(ケリー)・ジョンソンは、実戦を経験した戦闘機パイロットによる戦闘機への要望の調査の為に、朝鮮戦争最中の1951年12月に韓国を訪問した。当時、アメリカ空軍のF-86パイロットの前にMiG-15戦闘機がソ連の援助により投入された時期にあたる。
その結果、ジョンソンは複雑な構造を持つ大型の機体ではなく、MiG-15の様に必要最小限な装備を搭載し軽量化された機体が必要とされていると結論付けた。
アメリカに帰国後、ジョンソンは早速航空機のデザイン作成に取り掛かった。1952年3月にジョンソン率いる開発チームは、数種類の航空機スケッチを描いた。デザインを重ねるごとに機体スタイルは洗練され、重量が50,000lb(23t)の大型のものから、8,000lb(3.6t)という小型機のデザインに変わっていった。
同時期、アメリカ空軍もMiG-15 との戦訓から、出来る限り軽量な機体に強力なジェットエンジンを搭載し機動力と高速性を高めた戦闘機を欲していた。そして、迎撃戦闘機の開発要求を1952年5月に国内のメーカーに提示し、ジョンソン率いる設計チームスカンクワークスは小型軽量機の開発計画案を1952年11月にアメリカ空軍に提出した。ロッキード社の案にアメリカ空軍は大変興味を示し、他社の開発案との比較の結果、ロッキード社が1953年3月12日に開発の契約を結び、2機の原型機発注が行われた。
当初、開発中のJ79型エンジンの搭載を予定していたが、試作機作成に間に合わなかったため、J65-B-3型エンジンを搭載することとなった。試作1号機であるXF-104(53-7786)の製造は、ロッキード社カリフォルニア工場で1953年から開始された。1954年に機体が完成し、3月4日に初飛行を行った。試作2号機(53-7787)の製造は、1953年秋に始まっている。
1954年3月30日にはエンジンをYJ79-GE-3に換装し、強化したYF-104が17機発注されている。なお、YF-104は1955年4月27日にマッハ2を記録している。

特徴

基本構造

機体は高い縦横比、つまり、細長く、尖った機首に向かって先細りになる胴体内にレーダー、コックピット、機関砲、燃料、着陸装置、およびエンジンが余積なく搭載され、前面投影面積は小さく纏められた。小面積の主翼と相まって、誘導抵抗が非常に高くなる高迎角時を除いて、抗力を非常に低く抑えたものとして、充分な加速力、上昇力と潜在的最高速度を発揮することとなった。
その反面、翼面荷重が大きいことから持続旋回性能は不十分なものであり、F-104A/Bに対してM1.8/550ノットまではフラップの使用を可能にする変更により操作性を改善したものの、制御入力には敏感であった。フライ・バイ・ワイヤシステムのなかった時代であったこともあって、操縦は困難なものとなっていた。
単座型の他、何種かの複座練習機型が生産された。それらは一般に単座機と同様の内容ながら、追加コックピットのために、機関砲と内部燃料の一部を取り外すことになった。前脚格納部は位置を変えられ、収納方向が後方に変更された。複座型は垂直尾翼面積の僅かな拡大と機体重量に係わらず、サイドワインダーを使用した戦闘においては初期の単座機と同等の性能を発揮した。
キャノピーは横開きであるが、ヒンジが左側にあるため機体右側から乗り降りする。

主翼・尾翼

F-104は先進的な翼設計をその特徴としている。参考としたのは、X-3だった。X-3による実験等の結果、超音速飛行のために最も効率的な形としたのは、当時から現代までのジェット戦闘機の主流である後退翼やデルタ翼 ではなく、非常に小さい中翼配置とした台形の直線翼…

配備と運用

アメリカ空軍では比較的少数が短期間使用されたにとどまるが、F-104Cの改良型であるF-104Gは西ドイツを中心に北大西洋条約機構各国でF-86 セイバーやF-84サンダージェット/サンダーストリークの後継機として大量に採用された。なお、F-104を最も長く運用したのはイタリア空軍である。

アメリカ

防空軍団(F-104A/B)
アメリカ空軍では、1958年2月に防空軍団において部隊運用が開始され、以下の4個飛行隊に配備された。
第56戦闘迎撃飛行隊、オハイオ州ライト・パターソン空軍基地
第83戦闘迎撃飛行隊、カリフォルニア州ハミルトン空軍基地
第337迎撃戦闘飛行隊、マサチューセッツ州ウェストオーバー空軍基地
第538戦闘迎撃飛行隊、ワシントン州ラーソン空軍基地
同年8月23日に中華人民共和国(中国)が中華民国(台湾)が実効支配する金門島に砲撃を行った際、アメリカは台湾支援として配備されたばかりのF-104Aを装備する第83戦闘迎撃飛行隊を台湾に派遣したが、中国人民解放軍と交戦することなく終息した。
しかし、1959年に同じマッハ2級の戦闘機であるF-106の部隊配備が開始され、公式には「SAGE(半自動地上管制迎撃システム)との連携機材が搭載できない」という理由で早くも防空軍団では1960年には退役し、機体は台湾、ヨルダン、パキスタンに供与されたほか、空軍州兵に属する以下の3個飛行隊に配備された。
テネシー空軍州兵所属第151戦闘迎撃飛行隊
サウスカロライナ空軍州兵所属第157戦闘迎撃飛行隊
アリゾナ空軍州兵所属第197戦闘迎撃飛行隊
1961年8月の東ドイツによるベルリンの壁の建設を切っ掛けに東西間の軍事的緊張が高まったベルリン危機の際にも、F-104A/Bを装備する空軍州兵の3個飛行隊は全て合衆国空軍の指揮下に編入されたうえで、第197、第151の2個飛行隊が西ドイツのラムシュタイン空軍基地、第157飛行隊がスペインのモロン空軍基地に展開した。
なお、F-104A/Bは燃料給油口が空中給油に対応していなかったため、後のF-104C/Dのように空中受油プローブを装着することができず、空中給油を利用してのフェリー飛行は不可能であった。このため台湾やヨーロッパへの展開時にはいったん分解してからC-124…

ウィキペディアより、CC BY-SA 4.0 · 記事全文を読む

写真
Lockheed F-104 Starfighter (F-104) Lockheed F-104 Starfighter (F-104) Lockheed F-104 Starfighter (F-104) Lockheed F-104 Starfighter (F-104) Lockheed F-104 Starfighter (F-104) Lockheed F-104 Starfighter (F-104) Lockheed F-104 Starfighter (F-104) Lockheed F-104 Starfighter (F-104)

ウィキメディア・コモンズより。写真をタップすると作者とライセンスが表示されます。

概要

管理United States Air Force
高さ4.09 m

データ:Wikidata(CC0)。料金と時間は変わることがあります。お出かけ前にご確認ください。

経路 地図

38.10474 N · 13.34833 E

誤りを報告する、または情報を追加する

間違った時間、通行止めの道、語る価値のある物語。ここに書いてください。ページに反映する前に、人が目を通します。

この地域の安全ポイント ★ 必見 地図に戻る

場所:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。文章と写真:ウィキペディアとウィキメディア・コモンズ、CC BY-SA。地図:OpenStreetMap。